批判されることを気にしていたら物書きなんて出来ません

批判なんて気にしていたら記事なんて書けません。

僕が何かしらの形で文章を書き始めて、もうすぐ10年程経つんですが、最近になってとあることを意識しながら文章を書くということを実践しています。

それは誰の目も気にせずに記事を書くということです。意識はしていても全然出来てないんですがねw

元々僕は非常に気を使う人間で、常に他人の目を気にしながら生きてきた節があります。勿論それは仕事でも友達付き合いでも家族でも同じことで、誰かに嫌われることが怖くてたまらなかったんです。

その考えは文章にも現れていて、今まで僕が書いてきた文章は誰かを傷つけたり批判を買うような内容を書いたことはありませんでした。

でも、誰の目も気にせずに記事を書くということは批判を受けることであり、無意識に誰かを傷つけてしまう事でもあります。

勿論それについては葛藤もありますが、僕は気付いてしまったんです。

人の心を動かすような記事が書けていないということに。

ポジティブな感情であってもネガティブな感情であっても、人の心を動かしていることには変わらないし、そういった事が書ける人の記事はたくさん読まれます、それが炎上したといわれようが、多くの人の目に留まる事には違いありません。

僕にはそれが出来ていない、恐らく多くの人も。

これまで僕の書いている記事は『多少役に立つことはあっても大きく心を動かすことのない記事』でした。

役に立つ記事を書き続ければ、いずれ多くの人が読んでくれると信じて疑わなかったので、とにかくそういった記事だけを書き続けました。

でもそれだけじゃダメで、もう少し核心を突くような記事を書くことが大切だということに気付き、今に至るわけです。

勿論、この考えが正解だとは思いませんし押し付けるつもりもありません。

ただ、これが今の僕にとっては正解で、ポリシーなんです。

今僕は、記事を書くのがとても楽しい。とにかく楽しい。書きたいことを書けるって幸せなんですよ、とても。

この気持ちは、僕が初めてIT企業に入った頃の気持ちに似ています。

19歳の頃に入ったその会社は、今考えると超が付くほどブラックハットなSEOを行っている会社で、僕はそれをブラックだと考える事すら出来ないくらいSEOについては無智でした。

でも、そこでサイトの記事を考える仕事がとても楽しかったのだけははっきりと覚えています。

色々なキーワードで書かないといけないのだけど、そのキーワードを調べている内にどんどん知識が付いてきて、自分の血肉になるのがわかるんです。最初は何のことを説明しているかわからないことでも、1サイト作り終わる頃には基礎知識が付いており、次に同じキーワードでサイトを作成する時にはもっと細かい内容の文章が書けるようになっていました。

それがとても嬉しくて、夢中になって調べ物をしていたことを今でもよく覚えています。

多分僕は『自分の好きな分野で新たなことに挑戦している』ということがとても楽しいのでしょうね、客観的に見るとそんな感じです。

実はこのブログを始めた当初は、上記で書いたように『多少役に立つことはあっても大きく心を動かすことのない記事』を書き続けていました。

確かに役に立つ記事なんですが、書き方を意識し過ぎるばかりに時間がかかる上、文章量はそれほど多くない記事で、中々毎日書くことが出来なかったんです。

どうしたものかと思っていたら、何故か突然『どうでもいいや、書きたいこと書こう』って思い始めて、気がつけば毎日記事を更新するようになっていました、本当に何故その考えに至ったのかわかりませんが、二ヶ月前の僕はよく思いついてくれたなとw

今年、僕は人間として1つ大きくなれました。考え方が一皮むけたといった感じでしょうか。それはひとえに様々な人達との出会いがあったからだと思います。

まだまだ物書きとしてペーペーな僕ですが、今後とも頑張る所存でありまくりますです。はい。

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